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雨の庭、ドビュッシーの「版画」より

人生回り道をしている元受験生、現医学生が、思うことをつらつらと。

若年寄

といっても、幕府の役職の話ではない。

共働きの両親の元に、妹と弟と生まれた私は、主に父方の祖母に育てられた。
思春期、人格形成の時期に一番多くの時間を共に過ごしたのは、おそらくその人だろう。
どちらかといえば長男で両親に対して他人行儀な私が、何かあった時に真っ先に話すのは、祖母であった。
学校で喧嘩して痣を作って帰ってきた日も、全国1位を取った日も。


毎日、茶を飲んで一服する。ペットボトルではない。茶筒を開け、急須で淹れるようにしている。

昭和一桁生まれの祖母は、この夏で米寿を迎える。何せ戦後の困窮を生き抜いて、女の細腕で一家を支えた人であったので、ものは大切に、無駄遣いはせずに、が口癖である。

そんな祖母は孫に子供向けのおやつや飲み物を用意する人ではなかったので、学校から帰ると、その代わりに、緑茶を湯呑みに注ぎ、味の染みた煮物か、その日の夕食のおかずを出してくれた。たまに甘いものがある時は、必ず昔の得意先の和菓子。

私にとってはそれが日常であったが、そのことを話すと、当時の担任や同級生からは奇異な目で見られたのを憶えている。
流石に私が友人を連れて来た時は菓子を出してくれたが、それでもケーキやスナック菓子を見た記憶はない。

小学生の頃、当時流行りのものには、何一つ触れなかった。
週刊の漫画は一切読まなかったし、テレビゲーム(当時は、皆が持っていた)は我が家には無かったし、ゲームボーイ(今思うと、化石のようなアレ)も、ミニ四駆も、カードゲームも、一切無かった。テレビすら、日曜のアニメを一本見ていたかどうかである。
本当に、どうやって同級生と話題を共有していたんだろう(お察しの通り、学校の外で同級生とあまり関わるクチではなかった、もしかしたら、それが後の人生で幸いしたのだが)。

もう十年以上前の事なので、うろ覚えの部分があるが、帰ってくると、手洗いうがいをし、茶を飲み、宿題をし、時間が余るとマッサージ椅子に座って、新聞を広げるか、祖母の購読していたジパング倶楽部かGLOBALの定期号を読んでいた。
そしてそのうちその上で寝ていた。

小学生の高学年で、今度は湯呑みやポットやミルを買い集め、紅茶や緑茶やコーヒー豆を買ってきては、湯の温度や器の大きさやブレンドに凝り、来客があればお茶汲みは必ず私の番。
本当に、なんという小学生だったことだろう。

そのせいか、酒とタバコは断っても、今でも茶と珈琲は断つことができそうにない。今年も新茶を味わっている。

人混みを避けよ、というのも祖母の教えであった。
孫が風邪をひき、それをうつされるのはかなわないとのこと。(あんたが風邪しょっぴいてきて、わたしが風邪ひいたらしょわっかよ‥ 九十九里方言)

休日、たまに父に東京に連れて行ってもらっても、人の多いところは駅以外決して行かなかったし、行くところといえば決まって、秋葉原のCDショップか、レトロな喫茶店であった。
そのため、この歳で未だに、一応戸籍は千葉県民でありながら、浦安のなんちゃらシーには行ったことがない(その隣の電子装飾仮想王国には一度行ったのだが、これも付き合いで仕方なく、である)。

大阪でも東京でも、テーマパークに行く位なら、中古屋でクラシックの廃盤を探して、旧い喫茶店でそのジャケットを眺めてる方が、私にはよほど充実しているように思う。

そんな訳で、おばあちゃん子の私の、若年寄たる所以である。