雨の庭、ドビュッシーの「版画」より

人生回り道をしている元受験生、現医学生が、思うことをつらつらと。

存在への愛

対人的なものではなく、音楽に対する個人的な思い入れの話。

 

気づけば、音楽は私のそばにあった。

それが空気のように当たり前であったため、そこから遠く離れてみるまで、気づかなかった程度には。

 

乳児のころから、クラシックをBGMに聴かせると泣き止むような子供であったらしい。

それは父が語った話なので、その真偽のほどは知りかねるものの。

 

4歳から14歳まで、私は地元の千葉の片田舎でヴァイオリンを10年習っていた。スズキメソードの8巻までいったが、大して上手くはならなかったし、ましてや、音楽を生業にする事など到底叶うはずのない腕前ではあった。

 

私の、鮮明に思い出せる範囲での最も古い記憶は、小学校低学年のころのものであるが、それは、何れもが音楽に(当時習っていたヴァイオリンに)関係するものであった。少なくとも、その記憶の範囲においては、私は無垢に音楽とヴァイオリンを、子供なりにではあるが、愛していたように思う。

 

いつの間にか、それはレッスンへの嫌悪とヴァイオリンの嫌悪へと変わっていた。

いつからだかは、覚えていない。

二次性徴、自我の目覚めのころには、すでにレッスンは忌避すべきものであったし、練習は家族の前でするものではないと思っていた。不思議と、誰もいない家の中で練習をするのは苦でなかったし、むしろ、新鮮な経験だったのではあるが。

 

無垢な楽器へと音楽への愛は、なぜ、変質してしまったのだろう。

ひとつには、同年代の、天賦の才を有する奏者の存在を知ったこと。

子供っぽい、原始的な嫉妬のようなもの。だが、それは、今なら自分の未熟さとして納得できるのだ。

 

もうひとつには、私の楽器に対する母の言動。

彼女は、その当時、家庭の子供に対して冷笑し難点を論うことこそすれ、滅多に、自分の子を褒めない人間であった。

私にとって親離れは、妹(6歳下)の産休を終えた母が職場に戻るのと同時に来た、いわば強いられたものであったし、当時まだ、潜在的に、両親の賞賛を得たいという素朴な感情を私は有していたのかもしれない。

その中で、私の演奏技術や(それは、決して褒められたものではなかった)練習態度に対する母の言動一つ一つが、知らぬ間に、幼き日に抱いていた音楽と楽器への素朴な感情を、不可逆的と思えるほどに変質させてしまったのであろう。

 

いま、公平のために記しておけば、当時母親の職場は過労死レベルの職場環境で、その中で我が子の難点にばかり目が行ってしまう精神状態であったのかもしれない。当時、いくらませていたとはいえ、私はそうしたことを忖度できるほど成熟してはいなかったようだ。(当時に比べれは、今の母親の人格は、良くも悪くも変貌してしまった)

 

さらにもうひとつは、田舎という閉鎖環境でのヴァイオリンの好奇の目線。

元から、義務教育では問題児で(勉強がわからなくて悩むことがなかったから。授業中は暇で寝ていたり机に落書きしていたりしていたのが、教師の不興を買ったらしい)

ただでさえ閉鎖的・均質的な故郷の学校空間に、私の居場所はなかったのだが、何かをきっかけに全校に知れ渡った、私が楽器を習っているという事実は、いっそう小中学校を居心地悪いものにした。

 

小学校高学年から中学校の中途にかけて、心身のバランスを崩し、学校生活への絶望はしばし希死念慮を伴うものであったが、そういったこと(と、ここに書ききれない諸々の出来事)が、いよいよ限界に達した。

 

そして私はヴァイオリンを手放した。14歳の夏のこと。

表向き、 当時所属していた吹奏楽部の活動と両立できないから、という理由で。

その実、これ以上ヴァイオリンを続けていくだけの気力が枯渇してしまったため。

 

中学高校の吹奏楽部も、これまた色々あったのだが、部活が楽しくなったのは、ヴァイオリンをやめて上級生が引退したその夏以降であった。高校二年の夏にいたるまでほんの3年の、短く、充実した音楽生活だったと思う。

 

 ここまで書くと、私はもう二度と音楽に関わらないと思われるかもしれないが、その後、長い中断(7年余り)を経て、今年から本格的に演奏を再開している。

音楽への見方は、幼き日とは違って、幾分斜に構えたもので、健全なアマチュアリズムの範囲内で楽しむものだと思っている。当時と比べれば、大幅に、聴くほうの比率が高くはなったけど。

 

これだけ、ヴァイオリンとそれに関わる怨嗟を書いてきたが、7歳のころから今まで一貫してるのは、音楽が好きだ、ということである。少なくとも、音楽を嫌いになったことは一度もない。

 

人に対する態度は、だいぶ変わったけれども。

 

究極の愛は、存在そのものへの愛だという。

私は、人の子であっても、まだ人の親ではないので、それを良くは理解できていない。

ただ、もし、存在そのものへの愛が私の精神より芽吹くとすれば、

それは、音楽に対して、音楽を奏でることを可能にする楽器に対して、自然に対して、そして、家族と友人に対してであってほしい、そう願っている。

音楽を愛するように、人を愛するということは、可能なのか。

 

人は、原理的に、分かり合えない。

分かり合えないから、恐ろしくもあり、傷つけ、支配したくもなる。

それが、ほとんどの人間に共通する本能だと思っている。

親子の、恋人の、友人の悲劇の多くは、自他の区別を弁えないことに多少なりとも由来していはしないか。

 

皮膚の皮一枚を隔てれば、その肉体には、全く別の魂が宿っている。

どれほど、二人が寄り添っていたとしても。

 

その、絶望的な隔離を認め、その上で、互いの自我を尊重する、

その在るがままを認める、という態度を、私は、仮に、愛情と呼びたい。